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11月21日(土)9時半より、朝一本目となる『Manda-la in Hiroshima』が上映されました。この映画は、同じ作品名の写真『Manda-la in Hiroshima』が完成するまでを描いたドキュメンタリー作品。「この映画を、被爆70年の広島に捧ぐ。 This movie is dedicated to Hiroshima 70th .」というエンドロールがふっと消え、会場がぐっと想いをこらえる様子の中、写真家・宇佐美雅浩さん、被爆者の早志百合子さん、倉増和真監督による、トークショーがスタートしました。映像中のキーパーソンであった三者が目の前に集い、贅沢な対話が始まりました。
「まず何より気になるのは…」と進行役が尋ねたのは、写真家・宇佐美雅浩によるプロジェクト『Manda-la Project』はどのような想いで作られたのかということでした。「Manda-la」というタイトルは、作品上に中心人物とその人の世界を表すものや人々を周囲に配置することから、仏教絵画の「曼荼羅」をイメージし名付けられました。始まりはなんと、「最初は、卒業制作での友達の家を撮ったことから。サボってやろうと思いついたことだった」と宇佐美さんは暴露します。訪れた転機は、3.11だったとのこと。2011年の東日本大震災を受けて、日本の深い部分を掘り起こしていこうという思いを持ち、作品も変わっていったとFUKUSHIMAからHIROSHIMAまでの想いを語ってくださいました。広島で作品を撮る上で中心人物となった早志百合子さんは、9歳で被爆をされた被爆者の方。宇佐美さんと出会い、共に作り上げてきた過程で感じたこと、被爆者としての想い、観客と共に映画のシーンを思い浮かべながらの話となりました。
そして話の中心は、なんと、今作品が初監督であったという倉増和真監督へ。どのようなきっかけで撮り始めたのかという質問には、宇佐美さんから「最初は『どうやって撮るんですか?』とか言いながらで、映像もブレてたんだよ(笑)」と思いがけない暴露も!ドキュメンタリーを撮る過程で出来上がった二次的作品であったというこの映画は、倉増監督にとっても無意識の作品であっただろうと宇佐美さんは言います。会場からの質問に答える形で、観察者というだけであった監督自身が、映像作品に作り上げる中で変わってきた気持ちが明らかになり、そのありありとした経緯に会場も皆聞き入ることとなりました。
早志さんは何度もおっしゃったのは、これは「奇跡的な作品」ということでした。出来上がった写真、そして過程を映し出した映画『Manda-la in Hiroshima』。そのどちらもかけがえのないものであることを、感じることのできたトークショーとなり、終わりには惜しみない拍手が送られました。
早志さんは何度もおっしゃったのは、これは「奇跡的な作品」ということでした。出来上がった写真、そして過程を映し出した映画『Manda-la in Hiroshima』。そのどちらもかけがえのないものであることを、感じることのできたトークショーとなり、終わりには惜しみない拍手が送られました。