オープニング作品「太陽を盗んだ男」(1979年)の長谷川和彦監督のトークが上映後にあり、撮影中のエピソードなどを披露して会場を沸かせました。聞き手は、広島市内で八丁座やサロンシネマなど計5スクリーンを経営する序破急の蔵本順子社長。
「太陽を盗んだ男」は、原子力発電所からプルトニウムを盗み、原爆を「手作り」してしまった中学教師の男(沢田研二)が国家を相手に次々と理不尽な要求を重ねていくストーリー。スケールの大きなアクションなど高い娯楽性の中に核やテロの問題も盛り込まれ、公開から35年たった今も熱狂的なファンが多い作品として知られています。
「今の若い監督の作品は、毒にも薬にもならないのが多い。この映画は今観ても、非常に新鮮です」と蔵本社長が口火を切ると、長谷川監督が撮影での思い出を語り始めました。ジャックされたバスが猛スピードで皇居に突っ込むシーンの撮影では、関係各所に根回しをしても許可が下りず、ゲリラ的なロケを敢行することに。
そのため、監督の身代わりで逮捕される志願者を募ったところ、「スタッフのほぼ全員が手を上げた」と長谷川監督。徹夜続きの過酷な撮影で音を上げそうだったスタッフが、留置場の中で一晩でもゆっくり寝たかったからだそうです。
ところが、撮影用に購入したバスのスピードが出ず、ぶっつけ本番のロケでは「皇居警察の警察官から、団体バスの入り口は向こう側ねと軽くあしらわれ、相手にされなかった」と今では笑い話となる現場の様子を生き生きと語っていました。
そのほか、「普通の青年が原爆をつくってしまう」というコンセプトを考え付いた脚本担当の米国人レナード・シュレイダーとの出会いや、当初は「笑う原爆」と付けたタイトルが二転三転したという秘話なども披露しました。
東広島市の出身で胎内被爆者でもある長谷川監督。「広島の人々がこの映画をどう感じていたのか気になっていた」と心情を打ち明け、会場から意見を募りました。被爆二世だという女性は「娯楽性と社会性がうまく融合し、不謹慎な映画とは思わなかった。原爆をつくってしまう主人公が同時に被曝者にもなってしまう姿が印象的だった」と発言しました。
長谷川監督は「原爆をつくったのは人間。主人公の中に加害と被害の両方を感じてほしかった」と作品に込めた思いを語り、トークを締めくくりました。
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