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2024年11月23日(土)18:00からNTTクレドホール第2会場で『「MEIKO」被爆者である母のこと~南方特別留学生との友情~』が上映され、その後作品について紹介がありました。聞き手は映画コメンテーターの鈴木由貴子さんです。
本作は絵と昔の写真、被爆者である栗原明子(くりはらめいこ)さんへのインタビューで綴るドキュメント。娘のエミさんが母の体験を描いた柔らかい絵が印象的です。
明子さんはあたたかい家庭で暮らしていましたが、女学生の時に太平洋戦争が始まりました。1945年8月6日の朝は大好きな父に見送られ向洋(むかいなだ)にあった旋盤を使用して小銃部品を作る工場へ。翌朝なんとか帰宅するも家は無く、広島市内で父を探して歩き続けました。そんな時、(旧制)広島文理科大学で東南アジアから留学していた「南方特別留学生」に会い、彼らに励まされながら明子さんは生きる勇気を取り戻します。
インタビューで明子さんは語ります。「あの留学生達は辛く大変な状況でも、日本やアメリカを悪く言うことは無かった。そのことを思うと心が痛む。今、なぜ争いが多いのか。なぜ人間は仲良くできないのかと思う」と。
監督は映画を制作したきっかけについて、数年前に明子さんが広島女学院中学高等学校で自身の体験を語るイベントを手伝った時、明子さんと出会い、留学生との話を知ったといいます。惨劇と極限の中でも、人を思いやる気持ち。原爆で日本人だけでなく、海外の人、アジアの人も亡くなっていたこと。実写映画にしたいが難しさを感じていました。そんな時に明子さんの娘エミさんが母の体験を絵に描き、YouTubeで発信していることを知り、絵本作りと映画作りを同時に進めようと有志のメンバーが動き始めたそうです。
監督が伝えたいことのひとつは、マレーシアからの留学生サイド・オマールさんの事です。自身も大怪我をしていたにもかかわらず怪我人を4キロも大八車で運ぶような献身的な人物でしたが、終戦後自国へ帰る途中に京都の病院で亡くなりました。病院の先生に血液を分けてもらったオマールさんは「先生は血を分けてもらったから僕の兄弟だ」と感謝をしていたそうです。自身の血を分けてまで救おうとした医師、人を助け感謝の気持ちを忘れないオマールさん。ただ亡くなったという事実だけではなく、人間が何を考えてどう動いたのかを絶対に伝えたい、大事にしたいと監督は語りました。
また(監督によると)、明子さんが昔父親から貰ったピンクのオルゴールは心の鍵で、東日本大震災が起きた時に彼女は「オルゴールの鍵を開けなくてはいけないと思った」それは明子さんにとって被爆体験を語ることを意味していました。
取材にきていた高校生は「つらい時でも、あんなに優しく出来る人達がいたんだ」と感動を伝えました。また別の観客は「まだまだ原爆について知らないことが多いと思った。この映画で南方留学生達が積極的に手を差し伸べていた姿は現代の若者が生きるうえでひとつのヒントになったのではないか」と話しました。
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